多重債務情報 470
1月17日 読売新聞
17日で発生から17年を迎える阪神大震災では、家や仕事を失った人たちが、消費者金融などから借金を重ね、多重債務に陥るケースが相次いだ。震災後に福山市に移住した豊中ふき子さん(58)(仮名)もかつて、借金を重ね、苦しんだ一人だ。「責任を感じ、『助けて』の一言が言えない」。自らの経験を振り返り、東日本大震災でも、同様の問題を心配している。「つらいことばかりだが、あの体験があったから、今、他人を思いやることができる」。豊中さんは苦しかった日々を振り返った。17年前のあの日、豊中さん家族3人は、兵庫県尼崎市の自宅で被災した。木造2階建ての住宅は全壊し、家財道具も持ち出せなかった。夫の勤務先の計らいで、次男を残し、夫婦で福山市に移り住んだ。生活は苦しかった。夫は出張が多く、独りで家にいると、震災の恐怖がよみがえった。1996年、同県内に住む母親がB型肝炎で入院した。心配でならず、新幹線で月10回も見舞いに通った。家財道具を一からそろえたこともあり、出費がかさんだ。足りない生活費を消費者金融から借りた。最初はほんの5万円程度。それが次第にふくれあがった。返済のためにまた借金をした。持っていた貴金属を売り、アルバイトをしても間に合わなかった。ヤミ金に手を出した。
夫にも、誰にも相談できなかった。「頭がまひしていた。自分で何とかしなければと、それしか考えられなかった」。2003年、借金は約10業者、計約350万円になっていた。ある業者に「返せない」と弱音を吐いた。猛烈な取り立てが始まった。夫の勤め先にも電話が鳴った。初めて夫に実情を打ち明けた。離婚は覚悟していた。だが夫は「わしがもう少し気を付けていれば良かった」と言ってくれた。夫婦で一緒に、多重債務者を支援する「福山つくしの会」に相談した。会は自己破産の手続きを手伝ってくれた。翌04年1月に自己破産した。再出発を誓った直後、悲劇が起きた。同年11月、同県西宮市で一人暮らしをしていた次男(当時29歳)が自殺した。次男は、2年前にB型肝炎が原因で倒れ、定職に就けずにいた。遺書はなかったが、車のローンなどもあったようだ。「私の借金を知り、言いづらかったのだろう。なぜ気付けなかったのか。自分だけ助かり、息子を救えなかった」。豊中さんは今、同じような境遇で苦しむ人たちの力になろうと、「つくしの会」で体験談を語る。昨年3月の東日本大震災で、自分と同じような体験をする人がいるのではないかと、心配でならない。「けなげに耐える姿の陰で涙をこらえているはず。必ず支えてくれる人たちがいることを伝えたい」と思っている。
消費者金融から借金をし、多重債務に陥る人は、ギャンブルなどで作った借金がほとんどだと思っていましたが、経済的な理由から借金し、気付けば多重債務者となり、借金を返済するためにまた別の業者から金を借りるという自転車操業に陥っている人が少なからずいるということも事実です。震災がきっかけで多重債務に陥ってしまう人もこれから多く出てきそうな気がします。誰が悪いわけでもない、自然災害の前では人間など無力なものです。弁護士や司法書士はこれから多く出てくるであろう多重債務者救済に奮闘していただきたいですね。借入した業者がヤミ金で、鬼のような取り立てに遭っている人がいるかもしれませんし、今後多重債務に苦しみ、自殺しようかどうか悩む人たちが出てくるかもしれません。そんな人たちの力に少しでもなっていただきたいと思います。震災は多くの人の人生を強制終了させただけでなく、助かった人の人生をも大きく変えてしまいましたからね。こんな悲劇は絶対にあってはならない、ですが日本は地震大国ですのでいつどこでこのようなことが起こるかわからないのも事実です。震災がきっかけで多重債務になった時、気兼ねなく相談に行ける環境を作っていただきたいと思います。それだけで多重債務者はずいぶんと救われるはずです。
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